若宮神社の河童の狛犬

カッパの狛犬

神社の狛犬が狛犬ではなく、「狛がっぱ」という変わった神社です。
高山には「高山堂山城」というお城がありました。
その城主は「宇都宮修理太夫正綱」というお殿様。
そのお殿様が若宮神社には祀られています。
では、そのお殿様の神社の狛犬はかっぱなの?
その関係をお教えします。
これは、江戸時代も、さらに少し前からの話
お殿様がお寺(現在も健在している金剛寺)からお城へ帰る途中
何者かが体に絡みついて帰るのを邪魔しました。
そう!何者かというのは、「かっぱ」なんです。
お殿様はすぐに「かっぱ」のいたずらだということに気付いて
ギュッと締め上げました。
「かっぱ」は、泣きながら
「わーんごめんなさい!!ゆるして〜もうしませんから〜」
と、ものすごく謝りました。
お殿様は、許すと同時に
「もう、悪さはしないように。次は知らんよ?」
とよくいい聞かせました。
「かっぱ」は命助かってホッと安心して山に帰って行きました。
その翌朝、
屋敷の門前に鯛が置かれ、時折、ぴんぴんはねていたそうです。
その翌朝も、また、次の朝も同じことが続きました。
どうやら、「かっぱ」が命を助けてもらったお礼に持って来るらしい。
家来の者は地面に置かずに掛けてくれるようにと鹿の角を門の側
に縛り付けました。ところが
どうしたことか、以来、一朝も鯛は掛けられませんでした。

月日は流れ・・・・・・・・・・
天正7年(1579年)に土佐の長宗我部という人が
三間、岡本城(今の宇和島市北部)に攻め込んできました。
高山のお殿様、正綱公も宇和島藩の援護に参戦
しかし、岡本城の支城務田(今の宇和島市三間町)でむなしく
亡くなってしまい、そのみしるしは高山の若宮神社のある大松の元に
埋められました。
その夜から城主の屋敷の周囲に河童の泣き声がして村人を一段と
悲しめました。その後、間も無く若宮神社、大松の元に小さな祠を
建て祀られました。
この若宮神社を村人は「若宮様」と呼んでいました。
現在も、その流れはあり、地元の人は、みんな「若宮様」と言います。
明治時代に入り
明治10年頃には河童の絵馬が多く掲げてあり、また、木造の河童が
一対奉納されていました。その型のまま石造りにしたのが現在の
「狛がっぱ」です。
向かって右がメス、左がオスで左のオスには、鯛を抱いています。
これは、言い伝えなんですが、
「高山の海でいくら泳いでも、昔から溺れたものは一人もいなのじゃ、
それはな大松様(若宮様)がエンコ(河童)を家来にしたから、
エンコがわし等を 守ってくれるんじゃ」
らしいのです。
「かっぱが見守ってくれるから溺れることがない」
という言い伝えです。
そういった伝説のある、西予市明浜町高山にある
若宮様(若宮神社)を訪れてみてください!!

【参考文献】〜明浜こぼれ話---郷土史片々録〜 著者 久保 高一

河童の狛犬1 河童の狛犬1 河童の狛犬2

若宮神社河童の狛犬:鯛を持ってるほうがオス、持っていいないほうがメスです。

昭和45年頃 御神木 枯死 現在の御神木

左:昭和45年頃の御神木(家が密集してる中にそびえ立つ大松は見事なものだったそうです)
中:昭和46年頃、大松枯死(樹齢約500年、幹の直径は6尺もありました)
右:現在の御神木(屋根が株太だけになっても屋根を付け奉られています)